ごめんなさい! 懺悔その3 世界最少の「木版のQSLカード」 
6DQ5パラ自作機で14Mcメガサイクル(当時周波数はサイクル表示)で、DX海外局とQSOがだんだん増えてきた頃、QSL返信率を如何にあげるかに注力するようになった。
JA1地区のトップガンどもに、勝つ秘訣は「耳と寝ないで授業中に寝る(夜間起きて日中寝るスタイルが誰もいなくて一発必中で珍局がゲットできたのである)ことで相当効率はあがったように記憶している。友達のノートをお酒のご馳走でコピーすればOKである、そのコピーは深夜自宅のノイズの中のCWワッチしながら眺めるだけで、まあ簡単に単位は取れた。雑音を除く耳とノートの講義中の余分な箇所を除く自動フルター機能で頭は冴え、ぼんくらの頭でもDX稼ぎと学習向上の二律背反の同時処理技術を磨いたものだ。
ただ、QSLは相手の行動を動かさなければ、SASEでも返って来ない。
よって、目立とう・・・とのよこしまな考えで、カードに特徴を持たせるべく「紙でなく木製で印刷」(これは日本的と一人早合点で悦に入ってた)それが「我がQSLカードは木製版で世界最小」(サイズは葉書大でなく名刺サイズであった)なんて『電波科学』誌に紹介されたので、益々、いい気になって、JARLのQSLビュローの手分け作業していた方には大変ご迷惑をかけた。
それから数十年、今QSLカード規格なる規範を見て『ご免なさい』!
「FO8AQ」局からはゴムスタンプ印が押せないので、わざわざ当方のCallSigin上に重複して追加の紙を貼り、それにFO8AQゴム印スタンプを押してComfarmのサインまでもらった。
世界沢山の局から集中するQSL返信業務の大変さも省みず、我が1人のため貴重な手間を掛けてくれました。
本当に『ご免なさい』!。
*印は、写真等収集中、実家に帰らないとそして今、手にする事ができるか心配です。
皆さんその頃の写真がありましたらご一報いただけませんか!
FEDXPの各位:JA1BK,JA1BWA,JA1HGY,JA1BRK,
JA2ADH、JA2ACC、JA2AAM数多くの局長さまにお世話になった。
どうぞ!
真空管と東京通信工業社(現在のSONY)TR-21の写真予定
トリオ社製9R−59写真を予定
初期の頃の「FEDXP会報」写真を予定
6DQ6×2SSB機、製作にあたって参考になった名著『SSB Hand Book』1961年12月臨時増刊号に大変お世話になり、飛躍的にDXが楽しめるようになった。入力200Wで竹竿で屋根に登って自作の2エレキュビカルが、私のハム人生の大半を歩んだ。
DX初期の頃、[AWX ANT]でミスマッチも省みずDX局が入感すると、慌てて竹竿を移動させてQSOが充分楽しめた。その懐かしい軌跡をCQ
Han Radio誌に掲載されそれが要約された。その『SSB Hand Book』の表紙を見ていただきます。


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